こんにちわ めいきです
田中将大(たなかまさひろ)1988年11月1日生まれ(32歳)
身長:190.5㎝
体重:97.5㎏
出生地:兵庫県伊丹市
プロ入り:2006年高校生ドラフト1巡目
右投右打(野球連続勝利ギネス世界記録保持者)「NPB史上4人目のシーズン勝率10割を達成している」。
2014年からはご存知のように、今から7年前2013年のオフに、ニューヨークヤンキースへ移籍することになりました、2015年当時年俸2,200万米ドル、当時としては破格の年俸ですねーそれだけ期待が大きかったのです、成績は7年間で78勝と安定した数字を残しています。
「ニューヨークヤンキースと言えばメジャーリーグでは名門ですよねー、あの(ベーブルース)もヤンキースでした、今からさかのぼること2014年にはあの私もファンの”デレク・サンダーソン・ジータ”が引退しました、年俸1,200万米ドルです、日本の年俸とは、桁がちがいますねー・・・」。
当時イチロー(マイアミ・マーリンズ)2015年から2017年在籍中2015年に一度だけ田中将大との対戦がありました、対戦後のイチローの感想は、(2020年6月1日)の情報です。
南マイアミで行われたマーリンズ対ヤンキースの交流戦、この日二人はキャリアでたった一度の対戦を果たした。
田中将大、楽天復帰!イチロウが明かした!1度の対戦で感じたこと!
結果は4打数2安打、試合は2-1でマーリンズの勝利でした、数字だけを見ればイチローに軍配は上がったかにみえるが、試合後彼は悔しそうな表情をはっきりと見せた。
「特別なボールは、ここっていうときのスプリット、あの場面であの球を仕留めておけば向こうは困りますからねー」あの場面?・・・それはマーリンズが1点勝ち越し、尚も2死2塁で迎えた7回の追加点機だった、田中からしてみればもう1点も与えられない。
彼はカウントボールから宝刀スプリットを出し惜しみすることなく駆使した、そしてイチローはそれを待っていた。
1ボールから89マイル(143キロ/時)のスプリット・ボール、背番号51のイチローが狙い通りに芯でとらえたものの、打球はマウンド斜面に当たり勢いを失った、加えて遊撃手が2塁ベース寄りに守っていたこともあり凡退となった。
常に相手投手のウイニングショットを仕留めることで対戦の優位性を保つ彼の思惑は崩れてしまった。2安打で勝利したにも関わらず、イチローの表情は晴れなかった原因はこのことにあった、彼はこの日の4打席13球の対峙を振り返った「彼は先発ピッチャーとして100球をどう組み立てるか、それがちゃんとできるピッチャー、相手としてやって、この1試合だけでもそれがはっきり見えた、力を入れるところと抜くところをよくわかっている、結局2点しかとられてないもんね、そりゃ充分エースになるピッチャーですよ、必ずゲームを作る、一番大事なことじゃないですか」メジャーリーグ会のレジェンドも太鼓判を押す。
その田中将大(通称マー君)が8年ぶりに古巣「東北楽天イーグルス」に帰ってくることが決定しました、背番号は18、年俸9億円です。
まとめ
楽しみですねー。
今年のパリーグは熱くなりますよ!
ソフトバンクの打者をどう攻略するかが、見ものですねー( ^ω^)・・・
田中将大が帰ってきたことにより日本のプロ野球界が、にわかに活気が出そうです、またそうなってほしいですね。
今回は古巣に帰ってきた田中将大(マー君)のことと、レジェンド、イチローのマー君に対する、対戦した感想を書きました。
それでは今回はこの辺で失礼いたします、最後までご覧いただきまして有難うございました。
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